名古屋のどえりゃー男 山田才吉物語


第三章 波に乗る(二)

 

 明けて明治二十二(一八八九)年――。この年は、正月早々の十九日から名古屋では珍しく三十aを越す大雪に見舞われ、近郊の流通が完全にマヒして住民の生活が大混乱したのをはじめ、歴史に残る事件が相ついだ。

 主なものを列挙すると、二月十一日に近代国家の第一歩となる大日本帝国憲法が発布され、七月一日には東海道線の新橋―神戸間が開通。片道約二〇時間で日本の大動脈が結ばれることとなった。さらに九月十一日には、愛知県下に猛烈な暴風雨が襲い、死傷者八七五人、住宅の破壊流失一万三、八五〇戸に上る被害を蒙った。

 一方、これより先の四月一日には、三重県に津市が誕生して東海地方で最初の市となったのを皮切りに、七月一日には岐阜県に岐阜市が、さらに十月一日には名古屋区(二七四町)に市制が施行され、青年都市名古屋市が誕生した。戸数四万三、七三三戸、人口は十四万四、一四五人。十七日に初代市長・中村修が就任し、二十五日には最初の市会議員選挙が行われた。

また、年も押し詰まった十二月十五日には、名古屋電燈が営業送電を開始し、市内に初めて四百余の電灯がつき、名古屋市民にとって文字どおり明るいニュースとなった。これら一連のできごとは、いずれも才吉のその後の人生に少なからぬ影響を与えたものである。

 そのひとつは、大日本帝国憲法の発布。この憲法は、自

由民権運動家の構想した民主的な憲法にはほど遠いものだ

ったが、一定の枠内で言論、集会、結社の自由が認められ

ていたので、これを歓迎した新愛知、金城新報、扶桑新聞

など三社による祝賀会が名古屋の大須において盛大に開催

された。

三社は、この日ばかりは日ごろのつばぜり合いを一時休

戦して、市民とともに歓びを分かち合った。大須観音の境内には、牛肉の煮込み屋、みたらし団子屋などの模擬店がずらりと立ち並び、大相撲の興業や芸者衆の手踊り、仮装などがにぎやかに演じられ、お祝い気分をいやがうえにも盛り上げた。

才吉は、守口漬と缶詰を宣伝する絶好の機会とばかりに

如才なく主催者側と交渉して、模擬店の一画に店を出し、「さぁさ、きょう限りの半値販売だ」と売りまくった。

 この年に全通した東海道線も、缶詰を国内はもちろん、

欧米や中国大陸へ大いに輸出しようともくろむ才吉にとっ

て、この上ない援軍となった。

 (そのためには、東京に拠点を置く必要がある)

そう決断した才吉は、すぐさま番頭の米次郎を連れて上

京した。運よく、翌二十三年に東京で第三回の内国勧業博覧会が開かれることが正式に決まった。それまでに支店の開店を間に合わせ、守口漬を大いに宣伝したい。

才吉は、東京での修行時代の知己を頼りに、神田須賀町に喜多福東京支店を立ち上げ、責任者には米次郎の弟、正吾を充てた。博覧会を手始めに、いずれは第一師団に缶詰を売り込む重要な橋頭堡だ。その点、自分の眼鏡にかなった正吾なら間違いない。

その正吾、初めて内国勧業博覧会の名前を聞いたさいに小首をかしげた。

「なんです、そのナイカクカンジョウハク……ってのは」

「カンジョウじゃなくて、カンギョウ博覧会といってな。もともとは政府が音頭を取って開く新製品の展示競技会みたいなものなんだ」

 才吉は正吾に展示会の成り立ちを、かいつまんで説明した。これが後々才吉の人生に大きく関わることになろうとは、夢にも思わずに……。

「明治四年の暮れ、横浜港を出航した岩倉遣外使節団に同行した大久保利通卿は欧米諸国をまわって、日本とあまりにかけ離れた産業の発展ぶりにびっくり仰天。帰国して内務卿になると、さっそく殖産興業に乗り出した。その政策の柱のひとつが、この内国勧業博。第一回は明治十年に東京の上野公園で開かれた」

「もう十年以上も前ですね」

「八月から十一月までの百二日の会期中に、出品者は一万六千人、出品点数はなんと八万点。入場者は四十五万四千人に上った」

「すごい盛り上がりだったのですね」

「そのうち、二百十一台の機械が出品されているが、ほとんどが木と鉄とを組み合わせてつくった外国製の物まね程度の代物。けれども、長野の臥雲(がうん)辰致(ときむね)という人の出したガラ紡機は、独自の発明で気を吐いたそうな」

「尾張・三河でも一時、盛んに使われましたよ」

「第二回は四年後の十四年。このときもガラ紡機が出されたが、手回し式から足踏み式に改良されているように、いろいろの機械が工夫、改良されて出品された。入場者は八十二万二千人もあったとか」

「ほぼ倍増したわけですね」

「けれども、十八年の第三回は延期されて二十三年になった。噂によると、会場内をアメリカから輸入された電車が走るそうな」

「へぇ。電車ねぇ。すごい人出になりそうですね」

「だから、あんたも腕のふるい甲斐があるってわけだ」



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