尾張の殿様列伝


第十三章 待ちに待った%a様登場 (1)

慶勝が()連枝(れんし)の美濃高須藩(現・岐阜県海津市)から十四代尾張藩主に襲封することが正式に決まったのは、嘉永二年(一八四九)六月慶臧(よしつぐ)が死去してから二ヵ月後であった。二百余年に及んだ藩の歴史の中でも、このときほど藩内が歓びに沸いたことはなかったであろう。

しかし、慶勝は慎重であった。

支藩とはいえ、三万石の小藩から一躍六十一万九千石を越す大藩の主君に――。川底の深さ、清濁も確かめず、いきなり水中に飛び込むような愚は、避けねばならない。

慶勝は金鉄党の田宮如雲、田中不二(ふじ)麿(まろ)、丹羽(まさる)らを使って、藩の内情をこまごまと調べた。

(ふーむ。聞きしに勝る伏魔殿)

密書が届くたびに、深くため息をついた。が、その半面、むらむらっと闘志を掻き立てられたのである。

お国入りを延ばしたもうひとつの理由、それは、ほんの二ヵ月前に婚礼を挙げたばかりの正室、矩姫(かねひめ)を江戸藩邸に残したまま、尾張へ赴く不憫さであった。

矩姫は陸奥二本松藩の藩主丹羽長富(ながとみ)の娘。藩祖が尾張国丹羽郡児玉村の出身だった絡みもあって、進められた縁組だった。楚々として愛らしく、若い慶勝が後ろ髪を引かれる思いになるのも、無理はなかった。

そして後日、奇縁といおうか、弟の茂徳(もちなが)がなんと矩姫の妹(まさ)(ひめ)を正室に迎えることになったのである。二本松藩とますます深まる(えにし)。矩姫もこの縁組を知ったさい、頬をぽっと上気させ、「政姫は子どものころから仲良く育てられた妹。こんなにうれしく、幸せなことはない」と、どんなに歓んだことか。

二本松藩は、その後北越戦争で新政府軍と戦い、武芸の心得のない少年隊三十人近くが華々しく戦死するといった悲劇を招いた。あまり知られていないが、会津藩や白虎隊に劣らず幕府に忠誠を尽くした藩である。

ある日、父の義建が慶勝、茂徳の兄弟を前にして、さりげなくいったことがある。

「あの藩は石高十万石。いずれ大藩を継ぐお主たちに不服があるやも知れぬ。だが、信長公以来の由緒ある名家でな……」

あとは言葉を濁した。慶勝は推測した。どうやら二組の縁談には、幕閣筋が関与していているのではないか、と。

 

さて、では尾張中が歓迎に沸いた慶勝一門の家系はどうなっているのだろう。

慶勝の父(よし)(たつ)の実父は、御三家水戸藩から高須藩に入った養子。そして義建の正室の(のり)(ひめ)も水戸家の出身なので、その子の慶勝はいわば二重に水戸家の血が混じり、血統上から見ると、ほとんど尾張と繋がっていない。

一方、規姫の弟は、あの水戸の烈公(なり)(あき)、その嫡子が最後の将軍となる慶喜(よしのぶ)だから、慶勝からみれば、叔父と従兄弟の関係になる。そのせいか、写真を見ると、慶勝も慶喜も額が広く細面の貴人顔。まことによく似ている。

世に高須の四兄弟といわれる。

義建の二男慶勝、三男の茂徳、六男の(かた)(もり)、八男の定啓(さだあき)をいい、やがて戊辰戦争が勃発すると、勤王・佐幕の敵味方に分かれて戦ったり、同じ藩内で熾烈な権力争いを展開したり。まるで戦国時代を髣髴とさせる運命に翻弄される。

その背景には、それぞれ藩主としての立場の違い、考えの違いによる面はあろう。けれども、生まれついての性格の違いが、大きな要因になっていることは、否定できまい。

四兄弟の中で、茂徳はもっとも体躯に恵まれ剛毅だが、やや野放図な面がある。また容保は、こうと決めたら梃子でも動かぬ(けん)(かい)固陋(ころう)偏頗(へんぱ)な気質があり、双方ともに慶勝とは必ずしも相容れぬところがあった。

けれども、妙なことに容保とだけは、どこか心の通じ合う面があり、幼少のころから陽明学など学問を学ぶときも、藩の伝統である柳生流剣術の稽古に励むときも、どちらかがネを上げるまで素読をつづけたり、袋竹刀をふり合ったりした。

このころ江戸小石川の水戸藩で暮らしていた斉昭は、四谷の高須藩邸によく遊びにきては、四兄弟の中でも慶勝をことのほか可愛がった。そして、父親の義建を差し置いて実子の慶喜に劣らず、いわゆる帝王教育に力を注いだのだった。

後年、慶勝が勤王攘夷に傾いたのは、多分にこの叔父の影響があったことは間違いなかろう。

それでは、なぜ血筋の上ではむしろ水戸に近く、尾張との関係が薄い慶勝が、それほどまで藩主に望まれたのだろうか。

尾張藩史の権威、愛知学院大の林董一名誉教授はこう解説している。

「当時の尾張人には、それは問題ではなかった。もともと、紀伊家よりは水戸家に好意を寄せる彼等。四谷家当主の嫡男で、しかも賢明の呼び声が高い、秀之助。紀伊家に血縁のある、幕府からの輸入藩主のよどんだ政治にあきたらない民衆が、秀之助迎立を熱望したのも怪しむに足りない」



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