ネオ浪曲


はやぶさ 奇跡の帰還

 

♪果てしなき宇宙に漂う太陽系の生まれたナゾを探ろうと、地球を飛び立ち3億`。その名も探査機『はやぶさ』が、小惑星のイトカワに降りて集めた微粒子を、エンジン停止や通信途絶、絶望的なトラブルをみごと乗り越え七年ぶりに地球へ戻って使命を果たす。これぞ日本の科学者が英知と技術を結集し、諦めるものかのド根性を世界に誇示した世紀のドラマ。科学の歴史に栄誉を刻むサンプルリターンの感動を、も一度ここに再現しましょう。

 

二〇〇三年(平成十六年)五月九日午後一時二十九分。

内之浦の発射台から打ち上げられた『はやぶさ』は、十分十秒後にロケットから切り離され、予定どおりの軌道に乗りました。太陽電池パネルを大きく翼のように開き、これでイオンエンジンを動かす電力もOKとなりました。

管制現場では、宇宙研のプロジェクトチーム・マネージャー、川口潤一郎教授が記者会見に応じています。

 「サンプルリターンの成功へ第一歩を踏み出したわけですが、そのねらいについてもう一度ご説明を」

 「米国はすでに有人飛行という膨大な予算を使って、月の砂を持ち帰っていますが、月は太陽系が誕生した時点から、かなり変形していますので、ナゾを解く資料とはなりません。そこで、太陽系が生まれた四十六億年近く前の状態を保っていると思われるイトカワという小惑星に探査機を送って、そのかけら、つまりサンプルを安い予算でリターン、持ち帰ろうという計画なのです。もっともサンプルリターンは、例えばサラリーマンとかオフィスレディを省略したOLと同じような和製英語ですがね。ふふふ」

 「画期的と言われるイオンエンジンについて……」

 「簡単に言えば、キセノンガスのプラス電子とマイナスイオンを噴出して推力を得るエンジンで、とても軽量なのが利点です。これまでもっぱら衛星の軌道修正に使われてきましたが、今回は初めてメインエンジンとして使います。耐用年数は四年です」

 

   ♪順調に飛行をつづけた『はやぶさ』は、その翌年の五月の半ば。再び地球に接近し、スイングバイに挑みます。地球の公転と重力を利用して、ちょうど円盤投げのように、ぐんぐん加速のついた『はやぶさ』は、イトカワめざす軌道に乗りました。

 

その五年前に打ち上げられた火星探査機の『のぞみ』は、このスイングバイに失敗して、火星への軌道に乗せることができず、二百億円を宇宙のゴミにしたときびしい非難を浴びましたので、JAXA(ジャクサ)つまり宇宙航空研究開発機構、略して宇宙研の関係者は、「こんどは弱者にならずにすんだ」と、胸を撫で下ろしたものです。

そして、『はやぶさ』の打ち上げから二年経った二〇〇五年七月二十九日の午後。管制室は「イトカワの写真が送られてきたぞ!」の歓声に沸き立ちます。

イトカワは、火星と木星の間を回っている小さな惑星で、最長でも直径はわずか五百三十五b。あの愛らしいラッコのような格好をしていますが、表面は予想に反して、すごいあばた面でした。日本のロケット開発の父と言われた糸川英夫博士にちなんで名づけられたのです。

 

  ♪イトカワの上空二〇`。ここに静止した『はやぶさ』は、着陸のリハーサルを繰り返し、十一月二十日の早朝。いよいよイトカワめざして降下を始めます。あと十`、七`、五`。ぐんぐんとイトカワの地表へ接近します。一`、一千b、百b、十b、五、四、三、二、一、0――タッチダウンに成功!

 

ところがです。モニターの画面に映し出される『はやぶ

さ』の高度を示す線グラフが、着陸後もどんどん降下して地中へめり込む形になっています。

「マイナス二b、三b。なんだ、こりゃぁ!」

 管制室に悲鳴に似た声が上がります。画面を凝視していた川口教授も首をひねり、深刻な顔つきになります。『はやぶさ』が地下へ潜り込むはずはなく、なんらかのトラブルに巻き込まれたのに相違ありません。

といって、イトカワの表面温度は百度にも達しているので、そのまま放置すれば、『はやぶさ』の機体が壊れてしまいます。それに、夜になって太陽電池が発電できなくなると通信が途絶してしまいます。

 「よし、やむをえん。緊急離脱だ」

 川口教授の決断で、『はやぶさ』は再上昇します。あとで分かったことは、『はやぶさ』が降下する途中でバランスを崩し、タッチダウンしたときに、なんどもバウンドして、目標地点からかなり離れてしまったのでした。

 

   ♪このとき意見が真っ二つ。今ならまだ地球へ戻れると撤退論を唱える者と、いやいやあくまでサンプルを採取するのが使命だと、強行論をぶつ者と。

 

さて、どうする。再び決断を迫られる川口教授。プロジ

ェクトのリーダーに優柔不断は許されません。教授は決然とこう指示を出しました。

「もう一度着陸して、サンプル採取に再トライしましょ

う。サンプルリターンこそが、われわれ先輩たちの二十年来の努力に応える夢なのですから。残る燃料から見て、これが最後のチャンス。全力を挙げましょう」

こうして五日後の二十五日午前七時。『はやぶさ』はイトカワの上空一`から接近を開始。徐々に高度を下げていきます。四分後には十四b。ここから『はやぶさ』は、自分に備わった機器を使い、位置を確認しながら降下します。

 三億`も離れた地球との交信は、往復四十分もかかりますから、管制室からの指令を待っていては、手遅れになってしまうからです。

 じりじりと緊張感に包まれる管制室。それから二十分後、高度計が上昇に転じた数値を示し、つづいて「弾丸発射」のサインが来ます。

「やったぁ!」

 いっせいに拍手が起き、スタッフは互いに笑顔で握手を交わします。イトカワの地表にタッチダウンした『はやぶさ』が、粉塵を巻き起こす弾丸を発射し、その一部を機内に回収して、再び上昇に転じたという知らせです。

 この瞬間、日本の惑星探査技術の歴史に輝かしい一歩が記されたのです。川口教授はむろん、宇宙研の本部長や他の教授たちの中にはVサインを出したり、ガッツポーズを取る人もいます。

けれども、歓びはほんの一時(いっとき)だけでしたその後のデー

タを見ると、なんと弾丸は発射されていなかったのです。サンプルの採取は、夢と化したのです。

 

   ♪ああ、まさに天国から地獄。管制室のスタッフは

みんながっくりと肩落とし、深い吐息をつくばかり。

サンプル採取ができぬなら、『はやぶさ』を飛ばした

意義がないーー。

 

 原因を調べてみると、最初の着陸に失敗したため、プログラムを修正したさいに担当員がミスを冒し、弾丸発射の安全装置が働いてしまったのです。悔しさと無念さ。それになにより国民に対する申し訳なさ。

川口教授も一瞬、言葉を失います。が、思いなおして落ち込んだ面々を慰めます。

「がっかりするなよ。着陸したさいに舞い上がった粉塵

が、機体のどこかに付着しているかも知れないぞ」

 しかし、それは気休めに過ぎませんでした。

その後『はやぶさ』から送られて来る電波を見ると、大

波のつづく荒れ模様。またしても『はやぶさ』に変調が起きたのです。

「先生。どうやら太陽電池のパネルが太陽の方へ向いて

いないようです」

 軌道担当者が、苦渋に満ちた顔をして言います。

「どうしてそんなことに」

「『はやぶさ』がイトカワの地面にバウンドしたさいに機

体の一部が損傷して、そこから燃料のガスが吹き出ているようです」

「それで機体の制御ができなくなったのか」

「ええ。このままでは、やがて『はやぶさ』の電源がな

くなって……」

「音信途絶となったら、『はやぶさ』は行方不明になって

しまうじゃないか」

「多分にそのおそれがあります」

 不幸にも不安は、的中しました。しばらくして『はやぶさ』からの往信は全くなくなり、とうとう宇宙の迷子になってしまったのです。スタッフが懸命に電波を送っても、

『はやぶさ』からは、なんの応答も来ません。

 しかし、ここで諦めるわけにはいきません。川口教授はひるまず指示を出します。

 「音信途絶となっても、軌道計算をすれば『はやぶさ』のいる大よその位置は分かるはずだ。そちらへ向けて電波を発信しつづけるのだ」

   

♪明けても暮れても実りなき努力をつづけるスタッ

フに、やがて焦りと絶望感が忍び寄り、チームに活

力が失われていく。

目的意識を失った組織は、会社でも軍隊でも、どんなグループでもメンバーの心がばらばらになっていきます。現に、『はやぶさ』のプロジェクトチームも解散のうわさがささやかれ始め、外部からは「国民の税金の無駄遣い」などという手きびしい批判が出かかります。財務官僚も公然と予算の削減を口にするようになりました。

 絶対に諦めないーーと心に強く誓っても、スタッフの全員に辛すぎる時間が経っていきます。

 

 そして翌二〇〇六年一月二十三日の朝。管制室に突然、

 「『はやぶさ』が見つかったぞ!」

 という歓喜の声が響きわたります。

 「おい。本当か」「間違いでないのか」

 室内にいた全員が手を休め、声を上げた担当者のデスクのもとへ駆け寄ります。連日の寝不足で目を充血させた川口教授も、モニターの真ん前に陣取って、食い入るように画面をのぞき込みます。

 奇跡が起こったのです。

太陽電池のパネルがなんかの拍子に太陽に向き、電源をゲットしたのでしょう。四百三十種類にも及ぶ周波数の電波を宇宙の彼方へ絶え間なく送り、そのどれかが『はやぶさ』をキャッチしたのです。

『はやぶさ』から来る微かな信号は、まるで溺れている人間が苦しい息の中から顔を上げ、必死に手を振って助けを求めているようでした。

   

♪すぐさま開かれる緊急会議。満身創痍の『はやぶさ』をどうして無事に地球へ帰すのか。またも日本の科学者に、大きな試練が降りかかる。

 

それから翌年にかけて延々と会議がつづきます。せっかく捉えた『はやぶさ』を、なんとしても安全、確実に地球へ戻さねばなりません。

そして、その日は『はやぶさ』が最も地球に接近する二〇一〇年六月、三年後と決まります。それまでに姿勢を制御する三つのジャイロのうち壊れた二つを直し、止まったままの四つのイオンエンジンを回復させる必要があります。どちらも、とてつもない難題です。

相手は三億三千万`も離れた宇宙をめぐる小さな小さな探査機。そこへ微弱な電波を送って操作するのですから、十b離れた針の穴に糸を通すような、高度な技術が要請されます。

三年あるといっても、時間は容赦なく流れていきます。

 まずは姿勢の制御。キセノンガスを噴射させる手もあるにはあります。けれども、残されたエンジンの燃料を考えると、三方向あるうちの一方向にしか使えません。

 としたらーー。苦境に陥ったチームの一員に浮かんだアイディアは、宇宙空間で太陽光線が放つ、ごくごく微弱な圧力を利用して『はやぶさ』を動かすのです。

この太陽光線は、通常に飛行するさいには機体のバランスを崩させる厄介ものですが、これを逆手に利用する、まさに無重力の世界ならではの離れ業でした。

こうして、どうにか姿勢制御は可能となりました。

 

   ♪つぎに止まったエンジンをどうして生き返らすのか。設計された寿命は四年。なのに、帰還までにかかる時間は、なんと七年――。

 

 エンジンチームは頭を抱え、あれこれ議論はすれども、妙案は浮かばず。途方に暮れる毎日です。

 「絶対にギブアップしてはいけない。きっと何か、いいアイディアがあるはずだ」

 川口教授の叱咤激励がつづきます。

 そんなある日のこと。メンバーの一員が、頭を掻き掻き新しい提案をします。

 「四つのエンジンのうち、キセノンガスのプラス電子の残っているエンジンと、マイナスイオンの残っているエンジンを結び付けて噴射させたら、どうでしょう」

 「なるほど。理論上はむろん可能だ。だが、両者を結びつける装置がないじゃないか」

 すかさず川口教授が反論します。

 「それが、あるのです」

 「あるって? 『はやぶさ』の機体を一cでも減らそうと、みんなが懸命な努力をしたはず。信じられない」   

「実は、今回のようなケースに備えて各エンジンのキセノンガスを交流させる装置を、こっそりと組み込んでおいたのです。申し訳ありません」

「えっ、本当か。申し訳ないどころか、よくぞと言いたい。さっそくテストをしてみよう」

 「ありがとうございます。では、ただちに……」

 それは長さ五a、一cにも満たないチューブに似た装置でした。テストをすると大成功。『はやぶさ』は、つなぎ合わせたエンジンを吹かし、みごとに飛行を始めるではありませんか。

これで地球へ帰る目処がつきました。ルール違反のちっぽけな装置が、絶体絶命の危機を救ったのです。

 

  ♪最大のピンチを脱した『はやぶさ』は、二〇一〇     

  年三月に地球に戻る軌道に乗って、いよいよ最後の微調整。イトカワのかけらが付いているかもしれないカプセルを、いかにオーストラリアの砂漠に落とすのか。わくわくとする作業にかかります。

 

そして六月十三日の夜。『はやぶさ』は、大気圏に再突入

する三時間前にカプセルを地球へ向けて放出し、自らは燃え尽きることになりました。

この日の朝、川口教授はスタッフ全員を集め、おもむろ

に切り出します。

 「みなさん。ご承知のように『はやぶさ』は当初の計画では、カプセルを分離したあと人工衛星として宇宙観測をつづけることになっていたのですが、燃料がなくなったためミッションを終えることになりました。まことにまことに残念です。そこで、どうでしょう。『はやぶさ』に最後のはなむけとして、ひと仕事してもらおうじゃないですか」

 このあと教授がどんな案を出すか、みんな固唾をのんで耳を傾けます。

「大気圏へ再突入する前に、『はやぶさ』の生まれ故郷である地球の写真を撮らせてやりたいのです。電源がつづく限り何枚も……」

管制室にいっせいに拍手が起こります。

「ありがとう。ちょっと浪花節っぽいけれど、われわれにとって『はやぶさ』は可愛い子どもでもあり、弟分でもあったのですから」

そう言って目を潤ませる教授に、また一段と高い拍手が送られます。

   ♪地球の写真を幾枚か送り終えた『はやぶさ』は、予定どおりカプセルを放出したあと、地球のはるか上空で、ばらばらになり、それぞれがまるで流れ星のように白い線を描きながら燃え尽きました。

 

 豪州のウーメラ砂漠で回収されたカプセルには、イトカ

ワの地表のサンプルが付着していることが分かり、宇宙の

起源を解き明かす貴重な資料として、世界各国の大学に配

られ、今も研究が重ねられております。

 ねらった獲物は絶対に逃さないという、あの(はやぶさ)という

鳥にちなんで名づけられた『はやぶさ』。やはり名前どおり

の働きをしたのです。

   

♪宇宙科学の進展に大きく寄与した『はやぶさ』は、つづいて二〇一四年に『はやぶさ2号』が予定され、さらなる成果が待たれます。けれども、どんなに技術が進んでも、1号チームが持っていた「決して諦めないぞ」のド根性は、いついつまでも伝えてほしい。残してほしい。

    東日本の被災者に、明るい希望とたくましい勇気をしっかり与えるためにもーー。



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