ウィンザーのとある居酒屋。女将を囲んでジョン・フォールスタッフX世ら酔客が気炎を上げている。
女将 あら、またお代わり? フォールスタッフさん。今夜はそれぐらいにしておいたら。太鼓腹がますますせり出してきてよ。
フォールスタッフ なにをいうか女将。畏れ多くもこのおれさまのフォールスタッフ家はな、初代のサー・フォールスタッフさまの時代から「宴会には真っ先に駆けつけ、戦場には一番遅れていく」のをモットーとし、酒にめっぽう強く、女にもてる家系なのだ。初代はな、一晩でサック(白ワイン)を二ガロン(約九g余)も飲んだのだ。これしきの酒でくたばっていたら、ご先祖に申し訳が立たん。
女将 まあまあ、そうですか、そうですか。でも、酒は飲むべし、飲まれるべからず。ほどほどにしておいてね。
フォル 酒ばかりか、人も飲むこのおれさまだ。だが、おれさまの健康にそれほど親身になって気を遣ってくれるとは。女将、さてはわが輩に……。
酔客1 おいおい、フォル。その早とちりがフォールスタッフ家の悪いところ。先祖がそれでどれほど失敗したか、いやというほど承知しているだろうに。
酔客2 そうだそうだ。ことに、このウィンザーでは陽気な女房たちに散々痛い目に遭っているはず。洗濯籠に入れられて、テムズ河に放り込まれたり。寄ってたかって袋たたきに遭ったり。
フォル けっ。それはヘンリー四世時代のご先祖さまの話。今のおれさまは、ご覧のとおりの伊達男。
店の入り口からウィリアム・シェイクスピアが登場。
女将 いらっしゃい。あら、これはご新規のお客さま。ささ、どうぞこちらへ。
シェイクスピア この近くに一夜の宿を求めた者。だが枕が変わったせいか、どうにも寝つかれなくてな。どこかで寝酒を一杯と。
女将 お酒なら、売るほどございます。一杯などといわず、どうぞ、ごゆるりと。
シェイクスピア 酒は売るほどか、なるほど。ウィンザーの女性は昔から底抜けに明るく、陽気だ。
フォル 旦那。「か弱き者よ、汝の名は女」っていいますがね。このウィンザーじゃぁ、うっかり女性に鼻の下を長くすると、ひどい目に遭いますよ。ちょいとお見かけしたところ、ロンドンあたりからお越しで?
シェイクスピア さよう。ご明察。
フォル 道理でどこか垢抜けてらっしゃる。実はかくいうフォールスタッフX世さまも生粋のロンドン子。テムズ河の水で産湯を使ったシティーの生まれ。
シェイクスピア 私はロンドン生まれではないが、かの地にはかれこれ二十五年近く住んだ者。
フォル 住んだということは、これからどちらかへ?
シェイクスピア 郷里のストラットフォードへ戻ろうと思いましてな。
女将 ストラットフォードなら、ここから三、四日のところ。
シェイクスピア 若いころにはロンドンからアポン・エイヴォンまで三日もあれば着いたものだが……。
フォル 旦那。ロンドンに四半世紀も住めば、ロンドン子も同じようなもの。よーし、今夜はロンドンをさかなに痛飲するとしますか。
女将 フォルさん。初めてのお客にそんなこといって、ご迷惑よ。
シェイクスピア なになに。むっつり飲むのは悪酔いのもと。酒は楽しくだべり合って飲んでこそ百薬の長。
フォル さすが旦那だ。むっつりは駄目。むっつりなんとかいって、ろくなこたぁはない。
女将 お酒はなんにします? エール(麦芽酒)かビール? それともサックあたり?
シェイクスピア ビールをいただくとするか。
女将 旦那さん。その真紅の外套をどうぞお脱ぎになって。とても小粋。今、ロンドンではやってるのかしら。
シェイクスピア まぁね。どうです、似合いますかな?
女将 似合うも似合わないも、いやですよ、旦那。そんないなせな格好をして、あちこち女性を口説いちゃぁ。
フォル そういえば、ロンドンで一、二を争う名優、エドワード・アレンやリチャード・バーベッジあたりが、そんな外套をまとったら、さぞや世の女性ファンたちはしびれることでしょうな。
シェイクスピア ほほう。フォールスタッフさんとやら、なかなか芝居に詳しいようで。
女将 そうよ。この方ときたら、芝居となると目の色が変わるの。いつも私たち、講釈を聞かされぱなっし。
シェイクスピア そいつはうれしいね。で、フォルさんはどちらの役者をご贔屓に?
フォル そうさね。海軍大臣一座のアレンは、もっぱらクリストファー・マーロウ作の壮大・雄渾な主人公、例えばタンバレイン大王とかを演じさせたら天下一品。他方、宮内大臣一座のバーベッジは、リアルで心理的な陰影ある役柄が得意。どちらも甲乙つけがたいってところかな。
シェイクスピア (独白)なるほど。この男、なかなかの芝居通らしい。私が座付作者をしている宮内大臣一座のバーベッジの演技にも通じているとは……。
フォルさん。一杯奢ろうじゃないか。私も芝居にかけては、少々うるさい方で。
フォル へっ。そいつはありがたい。おい、女将。ということで、お代わりだ。でもね、旦那。もう何年前になるか。人気絶頂のマーロウさんが、居酒屋で口論した客に刺し殺されるとはね。一説では無神論者のマーロウさんを英国国教徒がやった犯行という説もあるようですがね。
シェイクスピア しっ。壁に耳あり。口は禍の門。
フォル ということは、まんざら嘘でもねえってことか。
シェイクスピア ところで、フォルさん。その芝居の作者たちの中では、だれがお好きかな?
フォル そうさね。当代の劇作家の中で、まず筆頭に挙げられるのが、ベン・ジョンソン。
シェイクスピア (独白)そうか。かれの喜劇『気質くらべ』は、私も役者として演じたことがあるが、その作劇術はなかなかに学ぶべきものがあった。それに、再三の投獄に屈せず、仮面宮廷劇などの風刺劇をつくりつづけた根性は、立派なもの……。
フォル おや、旦那。なんです、急に黙りこくっちゃって。そのジョンソンの芝居を再三演じた宮内大臣一座は、のちに国王一座となるだけあって、海軍大臣一座にくらべたら、品格があっていい。国家でも女性でも芝居でも、品格がなくちゃあ、いけない。
シェイクスピア なるほど、品格ねぇ。宮内大臣一座はそんなに素晴らしいのかね。
フォル 素晴らしいってなんの。どうせカネを払って見るのなら、宮内大臣一座だな。出しものも一枚上。
シェイクスピア うれしいことをいってくれるね、フォルさん。ロンドン子だってね。
フォル シティーの生まれよ。
シェイクスピア もっとこっちに寄りなさいよ。もっと飲みなさいよ。女将、フォルさんのお仲間にも私が奢る。さ、どんどんやってくれ。
酔客たち これはこれは、ご馳走さんで。
シェイクスピア で、二番目の作者は?
フォル ロバート・グリーンだな。ケンブリッジのあとオックスフォードも卒業した大学出だけあって、古臭い劇壇に新風をもたらしたロマンス劇なんか、うならせるねぇ。
シェイクスピア (独白)グリーンか。いやな奴だな、あいつは。劇作家として売り出した私に嫉妬をして「成り上がりのカラス」などと、こきおろしゃがった。ベン・ジョンソンにしたって、おれのことを「ラテン語は少しばかり。ギリシャ語はもっと貧弱」などとけなしている。
じゃぁ、三番目は?
フォル そうさね。ジョージ・チャップマンかな。海軍大臣一座向けにいろいろ面白い悲劇や喜劇を書いている。
シェイクスピア (独白)ふーむ、チャップマンか。かれの訳したホメロスの『イリアス』や『オデュセイア』は、『トロイラスとクレシダ』を書くとき参考にさせてもらったし、ま、仕方がないか。
で、おつぎは?
フォル 家庭悲劇という新ジャンルを切り開いたトマス・ヘイウッド。
シェイクスピア ふふん。つぎは?
フォル ヘンリー・チャトルか、トマス・デカーかな。……いやだね、旦那。劇場のモギリじゃぁあるまいし。さっきから、ほいつぎ、ほいつぎと。あとは十把ひとからげの雑魚ばっかしさ。
シェイクスピア (独白)とほほ。とうとう私を十把ひとからげの雑魚にしやがった。
おい、フォールスタッフさんとやら。聞いてりゃぁ、あんた。芝居通だ、なんだといってるが、とんだ食わせ者だ。大事な人をひとり忘れてはいませんか、ってんだ。
フォル 大事な人? さぁてね。ほかにはちょっと……。
あ、そうだ、思い出した。
シェイクスピア 思い出してくれたか。
フォル さっき話題になったクリストファー・マーロウ。不幸な亡くなり方はしたけれど、あの『エドワード二世』じゃぁ、従来の時代史劇から一歩踏み出して、権力の争奪を描く歴史劇に新境地を開いた作家だね。この人を忘れちゃいけない。
シェイクスピア といってマーロウは、亡くなってからもうかなり日のたつ人。それにしてもフォルさん、あんたよく飲むねぇ。いいたくはないが、そのサックはフランス産の高価なワインなんだ。……ほら、もうひとり大事な作家がいはしませんかってんだ。よーく胸に手を当てて思い出してくれ。頼むよ、な。
フォル おやおや、旦那。泣き声になったね。マーロウのほかにといって……。おっ、そうだ。思い出した。こんな大事な作家を忘れているなんて、おれさまも少々ヤキがまわってきたな。
シェイクスピア やっと思い出してくれたかい?
フォル 思い出したとも。この人こそ宮内大臣一座にその人ありといわれた、当代きっての大劇詩人。
シェイクスピア ちょいと待った、フォルさん。ロンドンの生まれだってね。
フォル シティーの生まれよ。
シェイクスピア そうだってね。もっとこっちに寄りなよ。酒を飲みなよ。で、で、その作家の名前は?
フォル ウィリアム・シェイクスピア。
シェイクスピア その人、そ、そんなに大作家なのかい?
フォル 大作家も大作家。大学こそ出ていないが、偉いね。歴史劇から悲劇や喜劇、なんでもござれ。人間を描かせたら百万人の心を描くってんだからイングランド、いや世界一。これに優る劇作家はいないな。わが国の誇りよ。
シェイクスピア フォルさん、さすがロンドン子だ。その飲みっぷり、いいねぇ。それにその恰幅のよさ。私は惚れ込んだ。よーし、女将さん。今夜は全部、私の奢りだ。みなさん、じゃんじゃん飲んで下さいよ。
(歓声を上げる酔客たちで騒然となる居酒屋)