シェークスピアの遺言


場所 ウィンザーとストラットフォード・アポン・エイヴォ

   

人物 ウィリアム・シェイクスピア

ジョン・フォールスタッフX世

マリリン・モルソン   居酒屋の女将

フランシス・コリンズ 弁護士

キャサリン・コリンズ フランシスの妻

アン・シェイクスピア シェイクスピアの妻

スザンナ       シェイクスピアの長女

ジョン・ホール    スザンナの夫

ジューディス     シェイクスピアの次女

トマス・クワイニー  ジューディスの夫

ジョーン・ハート   シェイクスピアの妹で未亡人

ベン・ジョンソン   シェイクスピアの親友で詩人

マイケル・ドレイトン シェイクスピアと同郷の詩人

ロバート・ナッシュ ホリー・トリニティー教会主教

ほかに居酒屋の客、墓掘り人

第一幕   第一場

 

ウィンザーのとある居酒屋。女将を囲んでジョン・フォールスタッフX世ら酔客が気炎を上げている。

 

女将 あら、またお代わり? フォールスタッフさん。今夜はそれぐらいにしておいたら。太鼓腹がますますせり出してきてよ。

フォールスタッフ なにをいうか女将。畏れ多くもこのおれさまのフォールスタッフ家はな、初代のサー・フォールスタッフさまの時代から「宴会には真っ先に駆けつけ、戦場には一番遅れていく」のをモットーとし、酒にめっぽう強く、女にもてる家系なのだ。初代はな、一晩でサック(白ワイン)を二ガロン(約九g余)も飲んだのだ。これしきの酒でくたばっていたら、ご先祖に申し訳が立たん。

女将 まあまあ、そうですか、そうですか。でも、酒は飲むべし、飲まれるべからず。ほどほどにしておいてね。

フォル 酒ばかりか、人も飲むこのおれさまだ。だが、おれさまの健康にそれほど親身になって気を遣ってくれるとは。女将、さてはわが輩に……。

酔客1 おいおい、フォル。その早とちりがフォールスタッフ家の悪いところ。先祖がそれでどれほど失敗したか、いやというほど承知しているだろうに。

酔客2 そうだそうだ。ことに、このウィンザーでは陽気な女房たちに散々痛い目に遭っているはず。洗濯籠に入れられて、テムズ河に放り込まれたり。寄ってたかって袋たたきに遭ったり。

フォル けっ。それはヘンリー四世時代のご先祖さまの話。今のおれさまは、ご覧のとおりの伊達男。

 

店の入り口からウィリアム・シェイクスピアが登場

 

女将 いらっしゃい。あら、これはご新規のお客さま。ささ、どうぞこちらへ。

シェイクスピア この近くに一夜の宿を求めた者。だが枕が変わったせいか、どうにも寝つかれなくてな。どこかで寝酒を一杯と。

女将 お酒なら、売るほどございます。一杯などといわず、どうぞ、ごゆるりと。

シェイクスピア 酒は売るほどか、なるほど。ウィンザーの女性は昔から底抜けに明るく、陽気だ。

フォル 旦那。「か弱き者よ、汝の名は女」っていいますがね。このウィンザーじゃぁ、うっかり女性に鼻の下を長くすると、ひどい目に遭いますよ。ちょいとお見かけしたところ、ロンドンあたりからお越しで?

シェイクスピア さよう。ご明察。

フォル 道理でどこか垢抜けてらっしゃる。実はかくいうフォールスタッフX世さまも生粋のロンドン子。テムズ河の水で産湯を使ったシティーの生まれ。

シェイクスピア 私はロンドン生まれではないが、かの地にはかれこれ二十五年近く住んだ者。

フォル 住んだということは、これからどちらかへ?

シェイクスピア 郷里のストラットフォードへ戻ろうと思いましてな。

女将 ストラットフォードなら、ここから三、四日のところ。

シェイクスピア 若いころにはロンドンからアポン・エイヴォンまで三日もあれば着いたものだが……。

フォル 旦那。ロンドンに四半世紀も住めば、ロンドン子も同じようなもの。よーし、今夜はロンドンをさかなに痛飲するとしますか。

女将 フォルさん。初めてのお客にそんなこといって、ご迷惑よ。

シェイクスピア なになに。むっつり飲むのは悪酔いのもと。酒は楽しくだべり合って飲んでこそ百薬の長。

フォル さすが旦那だ。むっつりは駄目。むっつりなんとかいって、ろくなこたぁはない。

女将 お酒はなんにします? エール(麦芽酒)かビール? それともサックあたり?

シェイクスピア ビールをいただくとするか。

女将 旦那さん。その真紅の外套をどうぞお脱ぎになって。とても小粋。今、ロンドンではやってるのかしら。

シェイクスピア まぁね。どうです、似合いますかな?

女将 似合うも似合わないも、いやですよ、旦那。そんないなせな格好をして、あちこち女性を口説いちゃぁ。

フォル そういえば、ロンドンで一、二を争う名優、エドワード・アレンやリチャード・バーベッジあたりが、そんな外套をまとったら、さぞや世の女性ファンたちはしびれることでしょうな。

シェイクスピア ほほう。フォールスタッフさんとやら、なかなか芝居に詳しいようで。

女将 そうよ。この方ときたら、芝居となると目の色が変わるの。いつも私たち、講釈を聞かされぱなっし。

シェイクスピア そいつはうれしいね。で、フォルさんはどちらの役者をご贔屓に?

フォル そうさね。海軍大臣一座のアレンは、もっぱらクリストファー・マーロウ作の壮大・雄渾な主人公、例えばタンバレイン大王とかを演じさせたら天下一品。他方、宮内大臣一座のバーベッジは、リアルで心理的な陰影ある役柄が得意。どちらも甲乙つけがたいってところかな。

シェイクスピア (独白)なるほど。この男、なかなかの芝居通らしい。私が座付作者をしている宮内大臣一座のバーベッジの演技にも通じているとは……。

フォルさん。一杯奢ろうじゃないか。私も芝居にかけては、少々うるさい方で。

フォル へっ。そいつはありがたい。おい、女将。ということで、お代わりだ。でもね、旦那。もう何年前になるか。人気絶頂のマーロウさんが、居酒屋で口論した客に刺し殺されるとはね。一説では無神論者のマーロウさんを英国国教徒がやった犯行という説もあるようですがね。

シェイクスピア しっ。壁に耳あり。口は禍の門。

フォル ということは、まんざら嘘でもねえってことか。

シェイクスピア ところで、フォルさん。その芝居の作者たちの中では、だれがお好きかな?

フォル そうさね。当代の劇作家の中で、まず筆頭に挙げられるのが、ベン・ジョンソン。

シェイクスピア (独白)そうか。かれの喜劇『気質くらべ』は、私も役者として演じたことがあるが、その作劇術はなかなかに学ぶべきものがあった。それに、再三の投獄に屈せず、仮面宮廷劇などの風刺劇をつくりつづけた根性は、立派なもの……。

フォル おや、旦那。なんです、急に黙りこくっちゃって。そのジョンソンの芝居を再三演じた宮内大臣一座は、のちに国王一座となるだけあって、海軍大臣一座にくらべたら、品格があっていい。国家でも女性でも芝居でも、品格がなくちゃあ、いけない。

シェイクスピア なるほど、品格ねぇ。宮内大臣一座はそんなに素晴らしいのかね。

フォル 素晴らしいってなんの。どうせカネを払って見るのなら、宮内大臣一座だな。出しものも一枚上。

シェイクスピア うれしいことをいってくれるね、フォルさん。ロンドン子だってね。

フォル シティーの生まれよ。

シェイクスピア もっとこっちに寄りなさいよ。もっと飲みなさいよ。女将、フォルさんのお仲間にも私が奢る。さ、どんどんやってくれ。

酔客たち これはこれは、ご馳走さんで。

シェイクスピア で、二番目の作者は?

フォル ロバート・グリーンだな。ケンブリッジのあとオックスフォードも卒業した大学出だけあって、古臭い劇壇に新風をもたらしたロマンス劇なんか、うならせるねぇ。

シェイクスピア (独白)グリーンか。いやな奴だな、あいつは。劇作家として売り出した私に嫉妬をして「成り上がりのカラス」などと、こきおろしゃがった。ベン・ジョンソンにしたって、おれのことを「ラテン語は少しばかり。ギリシャ語はもっと貧弱」などとけなしている。

じゃぁ、三番目は?

フォル そうさね。ジョージ・チャップマンかな。海軍大臣一座向けにいろいろ面白い悲劇や喜劇を書いている。

シェイクスピア (独白)ふーむ、チャップマンか。かれの訳したホメロスの『イリアス』や『オデュセイア』は、『トロイラスとクレシダ』を書くとき参考にさせてもらったし、ま、仕方がないか。

で、おつぎは?

フォル 家庭悲劇という新ジャンルを切り開いたトマス・ヘイウッド。

シェイクスピア ふふん。つぎは?

フォル ヘンリー・チャトルか、トマス・デカーかな。……いやだね、旦那。劇場のモギリじゃぁあるまいし。さっきから、ほいつぎ、ほいつぎと。あとは十把ひとからげの雑魚(ざこ)ばっかしさ。

シェイクスピア (独白)とほほ。とうとう私を十把ひとからげの雑魚にしやがった。

おい、フォールスタッフさんとやら。聞いてりゃぁ、あんた。芝居通だ、なんだといってるが、とんだ食わせ者だ。大事な人をひとり忘れてはいませんか、ってんだ。

フォル 大事な人? さぁてね。ほかにはちょっと……。

あ、そうだ、思い出した。

シェイクスピア 思い出してくれたか。

フォル さっき話題になったクリストファー・マーロウ。不幸な亡くなり方はしたけれど、あの『エドワード二世』じゃぁ、従来の時代史劇から一歩踏み出して、権力の争奪を描く歴史劇に新境地を開いた作家だね。この人を忘れちゃいけない。

シェイクスピア といってマーロウは、亡くなってからもうかなり日のたつ人。それにしてもフォルさん、あんたよく飲むねぇ。いいたくはないが、そのサックはフランス産の高価なワインなんだ。……ほら、もうひとり大事な作家がいはしませんかってんだ。よーく胸に手を当てて思い出してくれ。頼むよ、な。

フォル おやおや、旦那。泣き声になったね。マーロウのほかにといって……。おっ、そうだ。思い出した。こんな大事な作家を忘れているなんて、おれさまも少々ヤキがまわってきたな。

シェイクスピア やっと思い出してくれたかい?

フォル 思い出したとも。この人こそ宮内大臣一座にその人ありといわれた、当代きっての大劇詩人。

シェイクスピア ちょいと待った、フォルさん。ロンドンの生まれだってね。

フォル シティーの生まれよ。

シェイクスピア そうだってね。もっとこっちに寄りなよ。酒を飲みなよ。で、で、その作家の名前は?

フォル ウィリアム・シェイクスピア。

シェイクスピア その人、そ、そんなに大作家なのかい?

フォル 大作家も大作家。大学こそ出ていないが、偉いね。歴史劇から悲劇や喜劇、なんでもござれ。人間を描かせたら百万人の心を描くってんだからイングランド、いや世界一。これに優る劇作家はいないな。わが国の誇りよ。

シェイクスピア フォルさん、さすがロンドン子だ。その飲みっぷり、いいねぇ。それにその恰幅のよさ。私は惚れ込んだ。よーし、女将さん。今夜は全部、私の奢りだ。みなさん、じゃんじゃん飲んで下さいよ。

(歓声を上げる酔客たちで騒然となる居酒屋)



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