禅とスティーブ・ジョブズ


ニュー講談 禅とスティーブ・ジョブズ

 世は正にITの時代。かなりご高齢の方でも、自宅で碁や将棋のネット対局を楽しんだり、ケータイで撮った孫の写真を、あちこちへメールで送ったり。昨今ではケータイから買い換えたスマートフォンとやらを、バスや電車の中で取り出して、タッチパネルを得意げに操作している方々も見受けられますから、驚きです。

このように、コンピューターをだれでも使いやすいパソコンにつくり変え、ケータイにインターネットを繋いで世界中の情報はもちろん、音楽や映像なども自由に楽しめるIT社会につくり変えた男。この男こそ、あの経済誌「フォーチュン」によって「過去十年間で最高の経営者」にも選ばれた、ご存知、アメリカのスティーブ・ジョブズであります。(張り扇)

ジョブズが五十四歳の若さで亡くなったのは、つい昨年の二〇一一年十月五日のこと。悲報を聞いた世界中のユーザーたちが、iPad(アイパッド)やiPhone(アイホーン)を片手にアップルストアを訪れ、この世紀の天才の死を悼んだといいます。またオバマ大統領は「スティーブはアメリカのもっとも偉大なイノベーターの一人だった。世界の多くの人々が彼の発明した機器によって彼を知ったという事実ほど、彼の成功を如実に物語るものではないか」と追悼の辞を贈っております。

ところが、みなさん。常に時代の最先端を突っ走った、この天才が若いころ禅の修業に夢中になり、生涯にわたってその影響を受けたと聞くと、きっと「ええっ」と驚かれるに違いありません。そこで今回は、『禅とスティーブ・ジョブズ』と題して、その波乱に満ちた人生の一端を弁じることといたしましょう。                   (張り扇)

 

「いいか、諸君。わが社が先に開発したアップルUは、コンピューターをテレビ並みに小型化し、表計算など使いよくしたためマイクロ・コンピューターと呼ばれて、爆発的に売り上げを伸ばすことができた。しかしだ。その操作方法ときたらコマンドと称する、やたらと難しいコンピューター言語を扱い、専門家さえもてこずる代物である。

これを画面にタッチするだけで済む新しい方式に変え、だれでも簡単にオペレーションができ、しかもデザインも洗練されて美しく、素敵な家具にもなるようなパーソナル・コンピューターをつくらなければならん」

 ジョブズがテーブルを叩き、こう力説したのは一九八二年九月。次期コンピューター、マッキントッシュの開発チームを集めた合宿の席上でした。そしてホワイトボードに「IBMに一泡吹かせよう」「反逆心に燃える海賊になろう」「週八十時間、喜んで働こう」と大書したのです。

 その日から五十人全員が「週八十時間労働、それがうれしい」と大書したTシャツを着て、仕事に没頭しました。なにしろジョブズときたら人使いが粗く、完璧主義者で部下をめったに褒めないばかりか、気に入らないと大勢の面前で罵倒する。おまけに、十五年先を見据えたアイデアをつぎつぎ実行に移せと迫る。

期待に応えられない者は、情け容赦なくクビにするので部下はたまったものでありません。辞めていく技術者もいましたが、逆にその言葉に発奮し、徹夜も辞せず闘志満々デスクに向かった者も多かったといいます。ジョブズは人を巧みに煽るアジテーターの天才でもあったのです。

 あるときなど、持っていた電話帳を机の上に放り投げ、

「これがマッキントッシュの大きさだ。これ以上でっかくすることは許さない。ユーザーに受け入れられる限度がこれだ」とぶち上げます。

 全員が青ざめました。それは当時世界最小を誇るコンピューターを、さらに半分の大きさに縮めよということ。そんな小さな箱に、数字の計算だけでなく画像などの処理もできる複雑な電子回路を詰め込むことは、とうてい不可能と思えたからです。

けれども傲岸不遜といわれ、カリスマ経営者だったジョブズは、ノーという返事を最も嫌います。無茶な要求と思いつつもスタッフは、見事難題に応えたのです。(張り扇)

 こうして二年後に発売されたマッキントッシュは、シンプルで機能的な画面、マウスを使ったやさしい操作、それに何より美しいデザインが際立っていました。

 ところが、意外や意外、結果は散々でした。発売当初こそまずまずの売れ行きでしたが、その後はさっぱりです。六百万台売ったアップルUの足もとにも及びません。

「ジョブズ。君は『ジョン・レノンが音楽を変えたようにマッキントッシュは、これまでのコンピューターを変える』なんて大言壮語していたが、製品が売れなくては会社がつぶれてしまうではないか」

 社長のジョン・スカリーがジョブズに詰め寄ります。

「価格が高過ぎたんですよ。一台二、四九五jなんて。私が主張したように、その半額ぐらいにしないと」

「君が使った開発費からしたら、そんな価額に設定しないと採算が合わないのだ」

 こんなやり取りがありましたが、実際は価格ばかりでなく、ジョブズが凝りに凝ったフォント、つまり七種類もの文字にかなりの容量を食ったため、処理速度が遅くなってしまったことにもよるのでした。

 これ以後、ジョブズとスカリーの仲はすっかり冷え込みます。そして翌一九八五年、とうとうジョブズはスカリーによってアップルから追放されてしまいます。(張り扇)

このスカリー、実はペプシコーラの事業担当社長をしていたとき、コカコーラを抜いて米国一の売上げを達成した辣腕の男。これに惚れ込んだジョブズが強引にヘッドハンティングしたのですから、こんな皮肉な話はありません。

 ジョブズがスカリーを口説いたときの文句「残る一生、あなたはずっと砂糖水を売っていたいですか? それとも世界を変えたいですか?」は、いまでもアメリカ実業界の語り草になっているそうです。

それはともかく、アップルはジョブズが二十一歳のときに友人と二人、自宅のガレージで創業を始めた会社です。それから九年、従業員四千人にまで育て上げた会社を追われる羽目になったのです。社内からの反発も強かったとはいえ、「初恋の女を忘れられないように、アップルを忘れられない」といっていたほど愛着のあった会社ですから、その心中はいかばかりだったでしょう。本能寺の変で、逆臣明智光秀によって殺された織田信長の心境といったら、いささかオーバーでありましょうか。(張り扇)

クビになった当夜は、さすがのジョブズも自宅の部屋に閉じこもり、大好きなボブ・ディランの歌『時代は変わる』に聴き入りました。その歌の2番の歌詞は「きょうの敗者も あすは勝者に転じるだろう」ですから、まことにイミシンです。

――「おいおい。日本の講釈師さんよ。そんな見てきた

ような嘘をつくなよ」とジョブズは草葉の陰からなじるかもしれません。が、これ、本当の話です。

この歌で元気を取り戻したジョブズは、アップルUの成功で得た莫大な資金を元に、同じIT企業の「ネクスト」という会社を起こし、アップル追撃の狼煙を上げます。

この会社はうまくいきませんでしたが、つぎに買収した「ピクサー」という映像制作会社が大当たり。八九年に制作した短編アニメ『ティン・トイ』がアカデミー短編アニメ賞に輝き、ハリウッドに新風を吹き込みます。あのウォルト・ディズニーが傘下にしたいと求めてきたといいますから、一流の太鼓判を押されたようなもの。

その後に公開した『トイ・ストーリー』も世界初のコンピューター・アニメ映画として爆発的なヒット。ジョブズは一躍巨万の富を手にいたします。(張り扇)

 

では、ジョブズを追いやったアップルは、どうなったでしょう。まるで方向舵を失った飛行機のように迷走をつづけ、ライバルのマイクロソフト社にいいようにあしらわれて、差を広げられる一方です。

「これじゃぁ、ジリ貧だ。ジョブズを戻して再建を図らねばならん」

スカリーに代わってCEO、つまり最高経営責任者になっていたギル・アメリオは、ジョブズの才能を見直し、九六年に「ネクスト」を買収してアップルに復帰させます。

十一年ぶりに意気揚々と古巣に乗り込んだジョブズ。そのジョブズが真っ先に手がけたこと、それはいったい何だったでしょう。

なんと、アメリオの追い落としでした。「彼は船底に穴の開いて沈みかかった船の間抜けな船長だ」と触れ回り、億万長者の友人を使って、敵対的買収をねらっていると公言させます。こうして足もとをすくわれたアメリオは、翌年とうとう退陣に追い込まれ、代わってジョブズはアップル再興の旗手となるのです。(張り扇)

――平然と恩人を裏切ったジョブズ。織田信長や三国志の曹操ほどでなくても、カリスマ・リーダーとして天性の資質を持っていたといえましょう。何だか、下克上が当たり前になっていた日本の戦国時代が偲ばれる話ですなぁ。

 

それはともかく、王政復古を果たしたジョブズは、周囲が唖然とするような改革をつぎつぎと押し進めます。二十人ほどいた幹部のほとんどを入れ替え、要所々々に前の会社から連れてきた有能な部下を据えます。そして新製品の開発に全力を挙げさせ、徹底的な合理化を行います。

「セックスアピールのない今の製品はクズばかりだ!」

こう叫んで、六十種類もあった製品を一機種三モデルにまで絞り込み、日本のシャープに製造委託していた新型電子手帳の開発なども、相手が泣こうが泣くまいが、さっさと解約してしまいます。また自分の年俸も1jにして「世界一安い年収のCEO」と宣伝し、抜け目なくマスコミや世間受けをねらいます。

その一方、本社前に据えてあったマックの象徴であるオブジェも撤去し、アップルの六色のロゴさえ惜しげもなく捨ててしまうのです。これなど「過去の小さな成功にサヨナラして、もっと大きな成功をめざそう」という意気込みをみんなに伝えたかったからなのでしょうか。

 

こうしてジョブズが陣頭指揮を執ってから、二年間赤字のつづいたアップルは、わずか四半期で黒字転換します。しかし、ジョブズは少しも満足しません。なぜならジョブズは会社の利益追求だけに血眼になる経営者とは違い、いかにコンピューターを使いやすく改造し、世間の人々の暮らしをよくし、世界を変えるかに生涯を賭けた経営者だったからです。(張り扇)

事実、このあとジョブズが手がける製品は、ことごとく大衆から受け入れられ、大ヒットします。復帰後の九八年に初めて発売した家庭用デスクトップのコンピューター、iMac(アイマック)は、買ってすぐに操作のできるオールイン型。しかも中のパーツが見える半透明の斬新的なデザインが、エポックメイキングなものでした。

――われわれ講釈師も、こういうしゃれた横文字をばん

ばん使わなければ受けない時代になりましたな。日本の同じ伝統話芸である落語は、どこの独演会も満員の盛況。アメリカ公演もやっているというのに、わが講談はいつまで経っても古色蒼然とした軍記ものや武勇伝、侠客ものが中心で、若い方々にそっぽを向かれっぱなし。ジョブズではありませんが、改革を考えないといけませんな。

おやおや。話がとんだ脱線をしました。

 

このアイマック、八月に発売を開始してから年末までに八〇万台というアップル史上最高の売れ行きを記録し、笑いの止まらぬ状態となります。

けれど平家物語ならずとも、盛者必衰は世の習い。デジタル革命の中心だったパーソナル・コンピューターにもこれ以後徐々に影が差し始めて売れ行きが落ち、二〇〇〇年代に入ると、もうその役目は終わろうとしているなんていう専門家も現れます。

そう。そんな流れに待ったをかけたのが、ほかならぬジョブズだったのであります。(張り扇)

 ジョブズは、豪然といいはなちます。

「いやいや。パーソナル・コンピューターは脇役などにはならない。音楽プレーヤーからビデオレコーダー、カメラにいたるまで、さまざまな機器を連携させる『デジタル・ハブ』つまり扇の要にするのだ。そうすれば、音楽も写真も動画も情報も、すべてパソコンで管理できる」

こうした考えに立ってジョブズは、よその社が新製品の開発費を削る中、逆に新しい技術への投資を思い切ってふやすのです。そして、二〇〇一年にさっそうと登場したのが、iPod(アイポッド)でした。

これはインターネットと音楽を融合した製品で、いってみれば「持ち運ぶ音楽」の世界を切り拓いたものです。初期のものでも一千曲を楽しむことができたので、ソニーのウォークマンもCDショップも大打撃を受けます。初め難癖をつけていたメジャーのレコード会社も、結局はこれに屈し、ネットによる音楽の配信が一気に進んだのです。

このアイポッドには、革新的な機能が搭載されていました。「オン」「オフ」のボタンをなくし、使うときに電源が入り、使わないときには勝手に電源が切れる。現在ではお馴染みの機能ですが、初登場のときにはだれもが目を見張った新技術でした。

このあとも「アップルなんて、たいしたことないさ」とうそぶいていた終生のライバル、ビル・ゲイツを尻目に、ジョブズの快進撃がつづきます。そして、ゲイツがウィンドウズ95で築いたネット・カルチャーを、それ以後はアップルが先導していくことになるのです。(張り扇)

 

二〇〇七年になると、アイポッドの累計出荷台数がついに一億台を突破し、この年一月にはiPhone(アイホーン)が発売されます。このアイホーン、携帯電話を音楽や写真、動画、電子メール、ウェブが楽しめる機器に変身させた新製品で、ご存知のように今ではケータイ市場の主役に躍り出ています。その人気ぶりは、三日間で百万台売れたことでもお分かりでしょう。

 これが開発されたきっかけとなったのは、「ケータイに音楽再生機能が付いたら、アイポッドは見捨てられる」という危機感からでした。ジョブズは、この懸念を見事にくつがえし、「これまでつくった中でも最高の製品。キリストの電話だ」と自賛しています。

 ジョブズが新製品のプレゼンテーションをするたびに、世界の常識が変わるといわれてきました。その発表会はまたの名を「ジョブズ劇場」といわれ、いつも黒のハイネックにジーンズという簡素な出で立ちで会場に現れたジョブズが、巧みな話術と振る舞いで他社の製品をコテンパンにやっつけるとともに、何が飛び出すか分からない玉手箱のような驚きと喜びを提供したものでした。(張り扇)

その最後の舞台となったのが、二〇一〇年一月。iPad(アイパッド)がプレゼンされた日でした。このアイパッドは「本や新聞、雑誌を買わなくても、ネットを通じて画面に呼び出せば、いつでも好みの本やデジタル版の新聞、雑誌が読める」と宣伝された、あのタブレット型のミニ・コンピューターです。これからは学校の教科書にも使われ学童が重いランドセルから解放されるかもしれないという新ツールです。

この日会場に姿を見せたジョブズは、三宅一生がデザインした例の黒のハイネックにジーンズというスタイルこそ変わりませんでしたが、頬はこけ、げっそりと痩せ衰えて詰め掛けた人々を唖然とさせます。

それでも、かすれがちな声を張り上げて、いつものように他社製品を罵倒し、爛々と輝く目でアイパッドをプレゼンする姿は、鬼気迫るものがあったといわれます。その後いくばくもなく膵臓ガンのため世を去るのですから、その精神力たるや、やはり並みではありません。(張り扇)

この日を遡る二〇〇五年六月、闘病中だったジョブズが米国のスタンフォード大学の卒業式で行った祝辞は、名スピーチとして今も多くの人に語り継がれております。

「どうせアメリカン・ドリームを果たした男の自慢話さ」くらいに高をくくって聴いていた卒業生たちは、自分の人生の挫折や死について素直に語り、最後に「ハングリーであれ」「愚かであれ」と締めくくった、わずか十五分のこのスピーチに深い感銘を受けたといいます。

「億万長者になったジョブズが『ハングリーであれ』『愚かであれ』だって?」と首を傾げる方も多いでしょう。リーマンショック前で、就職に何の不安もなかった当時のエリート卒業生たちも、きっと同じ思いだったに違いありません。 

しかし深刻な不況がつづき、「ひどい社会格差をなくせ」と叫んで全国的なデモに加わらざるを得なくなった、かつてのエリートたちは今、ジョブズの言葉をしみじみ噛み締めているといいます。

ジョブズが述べたハングリーの意味は、外国人力士が日本の大相撲を席巻するようなハングリー精神とは違って、「自分の理想とするもの、やらねばならないと考えるものに対して貪欲に食らいつき、生涯を賭けよ」と語っていると思われるのです。

ある禅僧は、このハングリーという言葉は禅の「精進」に当たり、コツコツとたゆまぬ精進をしていく禅の思想を欧米風に表現したのだろうといっております。

 

――やれやれ。「禅とジョブズ」と題する演題にやっと入

ってきたかーーとお思いのお客さま。ちょっとお待ち下さい。その前提となる生い立ちについて、少しく触れることにいたしましょう。(張り扇)

世界的な大富豪ビル・ゲイツが、裕福な家庭に生まれて育ったのとは対照的に、ジョブズは私生児だったこともあって、すぐに労働者階級の家庭へ里子に出され、決して豊かといえない生活を送ります。

養父母は、それまで貯めた貯金を取り崩し、ジョブズを学費が高くて有名なリード大学へ進学させるのですが、これに耐えられなかったのか、ジョブズは、わずか半年で退学してしまいます。

実の父母は、ともにウィスコン大学の大学院生で、父はシリア系の移民。ジョブズは、この父親をきらって生涯会おうとはしませんでした。しかし、三十歳になったころ、養父母には気づかれないように私立探偵を雇って実の母を探し出し、自分に妹がいることも知るのです。両親はすでに離婚していたといいます。

――このあたり、何となく長谷川伸の戯曲『瞼の母』を思い出させますな。えっ、そんな古いことをいっているから、講談はヤング層に敬遠されるって? ふーむ。

私生児という出生が、ジョブズの人生に影を落としたことは間違いありません。アップル社で仕事をしていた二十三歳のころ、同棲していた女性が身ごもります。しかし、ジョブズが出産に同意をしないため、女性は故郷のリンゴ農園に戻って、女の子のリサを生みます。

驚いたことに、ジョブズはこのリサを二年間頑として認知しなかったばかりか、母子が生活保護を受けているのに養育費の支払いさえ拒みつづけます。後年になってジョブズは「僕は父親になりたくなかったからだ」と告白していますが、この非情な仕打ちの本当の理由は分かりません。

リサの存在は、マスコミの格好のネタになります。『タイム』はその急先鋒で、ジョブズを「マン・オブ・ザ・イヤー」の候補から外す一方、その事実を曝露しました。これ以後です。自分が都合よく利用するときを除いて、ジョブズが徹底的なマスコミ嫌いになったのは。(張り扇)

のちに三十五歳で正式に結婚した相手は、ローリン・パウエルというスタンフォード大学出身の女性でした。けれどもジョブズは、パウエルが妊娠したのに、こんども結婚するのをためらいます。ほかに付き合っている女性がいたからです。

 散々悩んだ末にパウエルと結婚したジョブズは、その後長男と二女に恵まれ、リサとも和解して家族の一員に迎えます。

――「英雄、何とかを好む」といいますが、ジョブズも例外ではなかったようですな。

英雄、天才というと、往々にして奇人、変人が多いようですが、ジョブズも変人が多いといわれる米国IT企業の一大拠点、シリコンバレーの経営者の中でも一、二を争うほどだったといわれますから、相当なものです。

若いころは徹底した菜食主義者。というよりも果実食主義者で、リンゴばかり食べていたそうです。それなら妙な粘液が出ないから、風呂やシャワーを使わなくても差し支えないと信じて、頭髪も身体もまったく洗わず。周囲に異臭を撒き散らしていたといいます。

大学中退後に一時ゲーム会社に勤めていましたが、人を人とも思わぬ横柄な態度に加え、あまりに臭いので周りの社員から苦情が続出し、他の社員と接触の少ない夜勤に回されたこともありました。

また驚いたことに、このころはいつも裸足で歩き回っていました。会社を休職してインドを放浪したときに身に付いた習慣かもしれませんし、日本の禅に夢中になったのも、この時期だといいます。(張り扇)

当時、ジョブズはカリフォルニア州ロスアルトスの実家近くにある慈光寺(じこうじ)、別称「坐禅センター」に足しげく通っていました。ここの和尚、知野(ちの)(こう)(ぶん)という曹洞宗の老僧に心酔し、後年自分の結婚式の司祭を頼んだほどですから、ジョブズがいかに仏教、なかんずく禅に魅了されていたか分かります。

晩年になって、「僕は出家も考え、日本の永平寺へ禅の修業に行こうと思ったけれど、仕事をつづけ、ここにとどまれと導師に諭されてやめた。ここにないものは向こうにもないからって。彼は正しかった」と洩らしていますから、その傾倒ぶりは生半端なものでありません。

さらにジョブズは、こうも述べています。「僕は悟りという考え方に心酔し、自分はどういう人間なのか、何をするべきかを知りたいと思ったんだ」と。友人の一人は、「自分の出自を知らなかったことも、理由のひとつではないか。インドでの放浪も、禅の修業も全部『自分探しの旅』だったに違いない」と推測しています。

――「アメリカに禅寺だって? 本当かい」と怪訝に思われる方もいるでしょう。そう。米国には日本でも知られた有名人に仏教徒が多いんです。例えば、ゴルフのタイガー・ウッズ、俳優のリチャード・ギア、歌手のティーナ・ターナーなどがそうです。現在、米国には三百万人を超える仏教徒がおり、中でもロサンゼルスではチベットやタイ、ミャンマー系を含めると、百近い宗派が軒を並べて共存しているそうです。

欧米人が仏教に魅了される理由は、どこにあるか。武蔵野大学のケネス・田中教授は、「キリスト教から仏教徒に改宗した人たちに尋ねると、キリストの復活を信じる(、、、)ことより、煩悩による誤った見方を改めて、自ら目覚める(、、、、)ことを究極の目的にする仏教の教えの方が魅力的だと答える人が実に多い」といっています。

実業家というより、モノづくりのプロフェッショナルであり、アーティストでもあったジョブズは、シンプルという美学を徹底的に追求しました。「仏教、とくに日本の禅宗はすばらしく美的だと思う。京都に多くある庭園、わけても竜安寺の石庭がすばらしい。その文化がかもし出すものに強く心を動かされる」といい、三宅一生のような和風のデザイナーとの付き合いを深めていきます。

ホーム・コンピューターに革命を起こしたマッキントッシュが、シンプルで機能的な画面に加え、「間」を重視した美しいデザインであることも、うなずけます。これ以後アップル製品を使うファンの中には、ジョブズが愛する京都の禅寺を散歩するのと同じくらいすばらしい体験となると手放しの惚れ込みようです。

いえいえ。そればかりでなく、仕事に対する集中力も、すさまじいものでした。ジョブズは、この面でも直感力を研ぎすまし、注意をそらす存在や不要なものを意識から追い出す禅の方法から学んだと告白しています。

ジョブズは、日本料理の大ファンでもありました。アップル本社の社員食堂にソバのメニューがあり、わざわざシェフを東京の築地のソバ屋に派遣して修行をさせたほど。腹違いの娘姉妹を連れて、こっそりと京都を訪れたとき二人にアナゴの寿司をご馳走させて悦にいっていた話など微笑ましい限りです。(張り扇)

 

さて、話変わって。前にも少々触れましたが、ジョブズが命を縮める結果を招いた膵臓ガンが見つかったのは、二〇〇三年の十月、四十八歳のときでした。

「ジョブズさん。あなたのガンは幸い進行が遅く、非常に珍しい種類のものと分かりました。あちこちに転移する前に手術で取り除けそうです」

医者からこう説明を受け、早く手術を受けるよう勧められました。ところがジョブズは、

「そうですか。でも僕は身体を開けていじられるのが嫌です。ほかに方法がないかやってみます」

といって、手術をかたくなに拒否します。そして、自分がこれはと思うオレ流の治療方法を試したのです。新鮮な人参とフルーツのジュースを大量に摂る絶対菜食主義や、そのほかに鍼やハーブも併用しました。またインターネットで見つけた療法や、心霊治療も受けたといいます。

奥さんのパウエルは、そんな夫について、

「あの人は、自分が直面したくないことは、みんな無視してしますのです。ええ、どんなことも」

と説明しています。

しかし、九ヵ月後の翌年七月に撮ったCTスキャンでは腫瘍が大きくなっており、さすがのジョブズも観念して摘出手術に同意します。けれども、ガンはすでに肝臓にも転移しており、化学療法に頼るほかなくなったのです。

 

ジョブズが死について、いつごろから真剣に考え始めたのか。それはむろん分かりません。ただ、きつい闘病生活の中で行った、例のスタンフォード大学でのスピーチではほぼ三分の一の時間を割いて語っていますので、この時点ではかなり深刻に考えていたと推測できます。

彼は学生たちに、こう語りかけます。

「自分がそう遠くないうちに死ぬ、と意識しておくことは人生の重大な選択をするときの助けになる。なぜなら、他人からの期待とか、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐れなどは、死を前にすればすべて消えてしまい、真に重要なことだけが残るからです」と。

この考え方について、ある曹洞宗の僧侶はいみじくも喝破しています。

「これはまさに禅の悟りに通じる考え方だ。悟りとは、いつ命が消えてしまうかもしれない自分に気づくこと。そして欲望に対する執着心を捨て、いつも出発点に帰ること。これが禅思想の核心なのだ」と。

ジョブズは、スピーチの最後に付け加えます。

「死はおそらく、生物にとって最高の発明です。古いものを取り除き、新しいもののための道を開いてくれる変革の担い手です」と。

――これはどこか、輪廻の思想にも通じる考え方に思えるのですが、どうでしょうか。(張り扇)

このように死を意識するようになったジョブズは、残り時間を惜しむかのように、あのiPhone(アイホーン)やiPad(アイパッド)の開発に集中したのです。

ジョブズが世を去る二〇一一年の一月。三度目の病気療養休暇が発表されると、ビル・クリントンをはじめ、さまざまな有名人が自宅へ見舞いにやってきました。

 ジョブズの住まいは、巨万の富を手にした八四年ごろこそカリフォルニアの広大な敷地にそそり立つ、三十部屋もある豪邸でしたが、しばらく住んだあとシリコンバレー北部の小さな家に移りました。この家は古い民家を改装したもので、いずれベッドルーム五部屋ほどの禅寺を思わせる簡素な新宅を建てる予定だったようです。

 ある日の午後、ジョブズと同い年で三十年来のライバルだったビル・ゲイツがふらりとこの家を訪れ、三時間にわたって話し込みました。

この両雄の「最後の晩餐」では死もテーマになり、ジョブズはこういったそうです。

「人間の死は、もしかしたらオン、オフのスイッチみたいなものかもしれない。パチン! その瞬間にさっと消えてしまうんだ。だからかもしれないね。アップルの製品にオン・オフのスイッチをつけたくないと思ったのは」と。

この言葉から推測すると、ジョブズは仏教の教えとは違って、死後の世界を信じていなかったのかもしれません。

この会談のあと、二人は伝記作家にそれぞれ本心を吐露しています。面白いことにゲイツは、「ジョブズが舵を取っている間は、アップルもうまくいくだろうが、将来は分からない」といい、一方、ジョブズはジョブズで「ゲイツが成功したのは確かだが、本当にすごい製品はつくれなかったな」と毒舌で応じたそうです。

そうそう。毒舌といえば、ジョブズのそれは辛辣そのものでした。その前年の秋にオバマ大統領に会ったさい、本人に面と向かって「あなたは一期だけ。再選は無理です」とずけずけいい、それがいやなら、もっと産業に優しくすべきですと注文をつけました。

また、その後大企業のCEO十二人と大統領の懇談会が催されたときに司会役を務めたジョブズは、「大統領は確かに頭はいいと思うけれど、できない理由を説明してばかりなんだ。あれは頭にきた」と断じています。

そして、「いまや世界のどこにも強烈なリーダーシップがなくなった。オバマにはがっかりだ。他人の機嫌を損ねたり怒らせたりしないようにするから、リーダーシップが発揮できないのだ」と手きびしい批判を加えております。

この言葉でもお分かりのように、ジョブズについては、いろいろ毀誉褒貶はあるにせよ、たとえ周囲の九九パーセントが敵対しても己の信念を貫き、決然と突破してきた真のリーダー、天性のリーダーであったといえるでしょう。 

(張り扇)

 

現在の日本各界のトップをつらつら見渡してみますと、人々の暮らしを少しでもよりよくするための改革を果敢に断行することよりも、自己の利益を優先して考えるリーダーが何と多いことでしょう。まことに、「一人のジョブズなきや」と慨嘆せざるを得ません。

 最後に私も、こう一言結んで本席を終えることといたします。(張り扇)

Stay(ステイ) Hungry(ハングリー)Stay(ステイ) Foolish(フーリッシュ)

                      (了)

 

[参考資料]▽ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズT、U」(201110,11月、講談社)▽石川温「スティーブ・ジョブズ奇跡のスマホ戦略」(201112月、ビジネスファミ通)▽PHP文庫「スティーブ・ジョブズ名語録」▽週刊ポスト(20111028日号)▽週刊新潮(20111020日号、1111日号)▽金子勝「論壇時評」(中日新聞20111025日付夕刊)▽NHK「クローズアップ現代」(231012日)▽NHKスペシャル「世界を変えたS・ジョブズ」(231123日)▽NHKドキュメントWAVE「ジョブズの子どもたち」(2417日)▽ケネス・田中「欧米人を魅了する仏教の秘密」(23123日付中日新聞朝刊)▽松原泰道「禅のこころ」(19888月、日本放送出版協会)▽その他略



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